奈良時代(神亀三年)行基菩薩が、塩江より御登山になり、阿讃山脈秀峰に一寺を建立し、阿弥三尊を安置されました。平安時代の初期、延暦十年(西暦788)弘法大師も、「三教指帰」と云う大師の著書にはっきりと記されています様に「求聞持修法」をされ、弘仁六年(807年)弘法大師四十二才、二度目の登山のときに、現世の男女厄難消除、万民安楽の為に、西照大権現の御尊像を安置し、法華経を一石毎に書き、男女厄流しの秘法を修されました。又、天安二年(858年)聖宝尊師(理源大師)が登山され、高野槙を御手植になり、男女厄除厄流の大護摩を修法されました。その法が今に伝わり厄流しの寺として有名です。
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